【レポート】第2回 マツ剪定講習会
1月25,26の二日間にわたり、講師に武田潔氏をお迎えして第2回目のマツ剪定講習会「マツを学ぶ」を行いました。
今回は二日間とも現場での実習で、冬に行うマツの剪定作業を実践形式で学びました。
実践する作業は、古葉を取り除く揉み上げ剪定と不要な枝を切り取る整枝剪定です。


講師の武田先生のご指導は、心からマツの木を大切に扱おうとしておられることが伝わってきます。
枝を剪定する場合でも、「切る」や「はずす」というような言葉はほとんど使われず「いただく」と仰います。
剪定が生き物に刃物をあてるという行為であることに向き合って、マツの木一本一本の尊厳を大切にしながら、そのマツ本来の美しさを引き出すような手入れを教えてくださいます。それは、時間をかけて人為と自然の最高の関係性をつくっていく、日本の庭づくりの一番素晴らしい心得ではないかと感じました。


松の剪定技術は教則本の類でも学ぶ事はできますが、現代の主流の手入れ方法と、古くから伝わっている方法というのは違うのだそうです。また、武田先生がマツの形や状態を表す時に使われる言葉のボキャブラリーがとても新鮮に感じられます。聞くと、これも先生の師匠からずっと使われてきた言葉なのだそうです。私たちは言葉によって物事を理解したり、深く捉えたりすることができます。モノを見る解像度(審美眼)は、言葉のボキャブラリーによって高められるのだと感じました。




先生の仕事に対する姿勢の素晴らしさや、話し言葉が持つ深みを感じること、また仲間同士で学び合う楽しさは、教則本では得られません。
このマツの剪定講習会は、今後も春と冬の年に2回、数年間継続して実施する予定です。
次回は春に新芽を摘み取る作業「みどり摘み」の回を行う予定です。
手入れによるマツの変化を観察しながら、実践的に技術を身体に染み込ませていけるような講習会です。
新規参加の方も歓迎です! どうぞ継続的にご参加ください。
このたびは、講師の武田さんはじめ、場所をお借りした長勝寺さん、ならびに長勝寺さんの境内を守られている(株)富士植木さん、皆様の寛大なご理解とご協力を賜り、このような講習会を開催することができました。この場を借りて感謝を申し上げます。
最後に、武田先生が今回の講習会で配布されたメッセージを以下に記します。
武田先生のお仕事に対する姿勢が感じられます。
次回もどうぞよろしくお願いいたします!
松の手入れとクラシック音楽
庭師というのは、学生時代の専門教育や社会に出てからの修行によって自分なりの美意識を身につけているものです。
自分なりの「美」を現場で表現し、評価されてこそ職人になった甲斐があるというものです。
庭木の手入れでも「うちの店ではこういうやり方だ」「俺はこうするのが好きだ」等の台詞を聞いたり言ったりした事もあるでしょう。
松の手入れでは、その考え方はややもすると誤った手入れになる場合があります。
本来の手入れ手法は、未来に渡りリレーのバトンを繋いでいく技術でもあります。出入りの店や職人が変わる度に手入れが変わったのでは、とてもバトンは繋がりません。
松の手入れは、約束事を守り「我」を出さずに粛々と進めるだけです。
マニュアル化は馴染まない庭仕事にあって、ルーチンワーク的な作業は面白みがない。そう思われるかもしれませんが、そうではありません。
国内でも盛んにコンサートが開催されているクラシック音楽。作曲当時の曲を繰り返し演奏し続けています。当然ですが、過去も現在も楽譜の音符ひとつ変える事なく演奏されています。
再生芸術ともいえるクラシック音楽ですが、同じに聞こえる演奏はありません。
星の数ほどもある演奏記録の中には、歴史的名演奏や名盤といわれる物が存在します。幼少期から鍛錬を重ねているプロ音楽家たちが、同じ楽譜を演奏しても印象が変わってくるのです。
松の手入れがまさにこれです。
変えてはいけない約束事を守り、その松の状態や周辺環境、景観の様子を毎回しっかり意識してベストな木姿を目指す。そのための技術と感性は、一生かけて高めていくしかありません。
変わらぬ約束事の中で「美」を追求する事は、制約がない事よりも難しい。私はそのように感じています。
このごろは 花ももみぢも枝になし しばしな消えそ 松の白雪 後鳥羽院
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